2010年12月02日
ワーホリ生活を振りかえる9*新しい仕事*
※ この記事はAUS出国前に書きためたものです
面接の翌日から仕事がはじまった。
今まで仕事経験はデスクワークのみ。
学生時代のアルバイトといえば、
遊園地でチケット売り・改札、
電気屋の店員、
塾講師、
結婚式場の照明アシスタント、
建設会社の事務アシスタント、etc・・・。
とにかく、体力仕事からはほぼ遠い、
コピーを取るとき&珈琲を入れるときしか動かなかったこのオイラが、
グレープファームで、ワイヤーを張りまくったり、
トマトファームでトマトを死ぬほどもいで、パッキングして、
あげく福祉のお仕事ですよ。
最初は日勤からスタートした。
日勤の仕事は、4フロアあるうちの1フロアを2、3人で受け持つのだけど、
最初の2日間はバディシフトとして、追加で仕事の流れを経験し、
3日目からは早速フロアを他の1、2人のスタッフと任されることになった。
一番最初に入ったフロアは、一番ヘビーなフロアだった。
慣れてしまえばこのフロアが一番ラクだと後で気づくのだけど、
とにかくいろんな症状をもった人がいて、もともとオージーとも接する機会が少なかったオイラだったけど、
アボリジニーの人と接するのもこれが初めての経験だった。
仕事も必死、英語も必死、とにかくテンテコマイだったけど、
10日間『仕事がない』って状態がホントウに辛かったから、全然平気だった。
下の処理は最初”ぎゃ!”って思ったけど、
1週間もすれば自分のお尻を拭くのと同じ感覚になった。うん、ヘーキヘーキ。
手やら足やら胸がない人を見たのも初めてで最初はビックリしたけど、それもフツーフツー。
喉に穴が開いてそこから息をしてる人は、最初は直視できなかったけど、
次第に喉の穴の掃除をするのが好きになっていた。
朝シフトはとにかく戦争状態。
とにかくより早くたくさんの入居者にシャワーを浴びせて、
朝食、ベッドメイク、リネン、ティータイム、昼食、ペーパーワークをこなさなくてはいけない。
一緒に組むスタッフ次第で、仕事がスムーズに進む日もあれば、
まったくはかどらなかったり、怒られまくったり、相手が働かなさ過ぎてイライラしたり、
1ヶ月経っても、3ヶ月経っても、いつでも新米なカンジだった。
最初は50人以上の入居者の名前を覚えるのに必死だったけど、
名前を覚えて関わるうちに、自分が入居者をどんどん好きになっていくのは自分でも驚いた。
ホントにどうしようもなく手が掛かる人もいるけど、
(失礼ながら)皆が可愛くて思えて仕方がなかった。
仕事がハードでも、
仕事ができなくて怒られても、
英語ができなさすぎてつくづく落ち込んでも、
入居者の笑顔や『ありがとう』の言葉で毎日幸せだった。
と、同時に自分が関わった人たちの死も経験した。
ケアをしようとするアタシに何度もパンチやキックをかましてきたチャーリー、
いつもお気に入りのカンガルーとテディのぬいぐるみと寝ていたコニー、
ゴハンのとき”もっと砂糖ちょうだい!””ダメ!”とアタシとバトルしていたペギー、
たまにお菓子をくれたアルフ、
元気だと思っていた人たちが、突然この世からいなくなるということ。
チャーリーに関しては、死んだばかりの体まで洗った。
自分の倍以上の年月を生きてきた人たち。
認知だったり体が不自由だったりするけれど、それぞれの過去を持っている。
正直、ただの旅人が関わっていい仕事なのかなーとは今でも思う。
スタッフの半分近くは、ワーホリスタッフをはじめ短期で働く外国人スタッフ。
働き始めて2ヶ月が過ぎる頃には、ワーホリスタッフの中で早くも長老になっていた。うそーん。
ワーホリスタッフ以外のオージースタッフも入れ替わりが目まぐるしく、
仲良くなっては去り、の繰返しで相変わらず友だちはできず(笑)
基本的には夜勤が多かったので、昼間はビールとウクレレを持ってビーチで過ごしたり、
チャイナタウンへ行ったり(たぶん皆が想像するチャイナタウンとは全然違う)、
暑くなってからは図書館で時間を過ごすようになったけど、基本はヒキコモリだったかなー。
日本にいた頃と時間の過ごし方が180度変わったから、
平日の昼間から自転車で街をフラフラする感覚が新鮮で面白かった。
朝起きてビールとか、フツーだったな(笑)
暮らすように旅したい、住んでるフリがしたい。
これがAUSでしたかったこと。
自分の住みたかった海のある街で、家もあって仕事もあって、本当に幸せだった。
にほんブログ村
面接の翌日から仕事がはじまった。
今まで仕事経験はデスクワークのみ。
学生時代のアルバイトといえば、
遊園地でチケット売り・改札、
電気屋の店員、
塾講師、
結婚式場の照明アシスタント、
建設会社の事務アシスタント、etc・・・。
とにかく、体力仕事からはほぼ遠い、
コピーを取るとき&珈琲を入れるときしか動かなかったこのオイラが、
グレープファームで、ワイヤーを張りまくったり、
トマトファームでトマトを死ぬほどもいで、パッキングして、
あげく福祉のお仕事ですよ。
最初は日勤からスタートした。
日勤の仕事は、4フロアあるうちの1フロアを2、3人で受け持つのだけど、
最初の2日間はバディシフトとして、追加で仕事の流れを経験し、
3日目からは早速フロアを他の1、2人のスタッフと任されることになった。
一番最初に入ったフロアは、一番ヘビーなフロアだった。
慣れてしまえばこのフロアが一番ラクだと後で気づくのだけど、
とにかくいろんな症状をもった人がいて、もともとオージーとも接する機会が少なかったオイラだったけど、
アボリジニーの人と接するのもこれが初めての経験だった。
仕事も必死、英語も必死、とにかくテンテコマイだったけど、
10日間『仕事がない』って状態がホントウに辛かったから、全然平気だった。
下の処理は最初”ぎゃ!”って思ったけど、
1週間もすれば自分のお尻を拭くのと同じ感覚になった。うん、ヘーキヘーキ。
手やら足やら胸がない人を見たのも初めてで最初はビックリしたけど、それもフツーフツー。
喉に穴が開いてそこから息をしてる人は、最初は直視できなかったけど、
次第に喉の穴の掃除をするのが好きになっていた。
朝シフトはとにかく戦争状態。
とにかくより早くたくさんの入居者にシャワーを浴びせて、
朝食、ベッドメイク、リネン、ティータイム、昼食、ペーパーワークをこなさなくてはいけない。
一緒に組むスタッフ次第で、仕事がスムーズに進む日もあれば、
まったくはかどらなかったり、怒られまくったり、相手が働かなさ過ぎてイライラしたり、
1ヶ月経っても、3ヶ月経っても、いつでも新米なカンジだった。
最初は50人以上の入居者の名前を覚えるのに必死だったけど、
名前を覚えて関わるうちに、自分が入居者をどんどん好きになっていくのは自分でも驚いた。
ホントにどうしようもなく手が掛かる人もいるけど、
(失礼ながら)皆が可愛くて思えて仕方がなかった。
仕事がハードでも、
仕事ができなくて怒られても、
英語ができなさすぎてつくづく落ち込んでも、
入居者の笑顔や『ありがとう』の言葉で毎日幸せだった。
と、同時に自分が関わった人たちの死も経験した。
ケアをしようとするアタシに何度もパンチやキックをかましてきたチャーリー、
いつもお気に入りのカンガルーとテディのぬいぐるみと寝ていたコニー、
ゴハンのとき”もっと砂糖ちょうだい!””ダメ!”とアタシとバトルしていたペギー、
たまにお菓子をくれたアルフ、
元気だと思っていた人たちが、突然この世からいなくなるということ。
チャーリーに関しては、死んだばかりの体まで洗った。
自分の倍以上の年月を生きてきた人たち。
認知だったり体が不自由だったりするけれど、それぞれの過去を持っている。
正直、ただの旅人が関わっていい仕事なのかなーとは今でも思う。
スタッフの半分近くは、ワーホリスタッフをはじめ短期で働く外国人スタッフ。
働き始めて2ヶ月が過ぎる頃には、ワーホリスタッフの中で早くも長老になっていた。うそーん。
ワーホリスタッフ以外のオージースタッフも入れ替わりが目まぐるしく、
仲良くなっては去り、の繰返しで相変わらず友だちはできず(笑)
基本的には夜勤が多かったので、昼間はビールとウクレレを持ってビーチで過ごしたり、
チャイナタウンへ行ったり(たぶん皆が想像するチャイナタウンとは全然違う)、
暑くなってからは図書館で時間を過ごすようになったけど、基本はヒキコモリだったかなー。
日本にいた頃と時間の過ごし方が180度変わったから、
平日の昼間から自転車で街をフラフラする感覚が新鮮で面白かった。
朝起きてビールとか、フツーだったな(笑)
暮らすように旅したい、住んでるフリがしたい。
これがAUSでしたかったこと。
自分の住みたかった海のある街で、家もあって仕事もあって、本当に幸せだった。
にほんブログ村
Posted by マホチン at 12:00│Comments(2)
│オーストラリア
この記事へのコメント
>本当に幸せだった。
このひとことに尽きると思う。
まほちん、いい人生送っているよ、というか、上手に運べているのでは?
と思います。
人生の旅路が、よりよい方向に向かうといいね!!
このひとことに尽きると思う。
まほちん、いい人生送っているよ、というか、上手に運べているのでは?
と思います。
人生の旅路が、よりよい方向に向かうといいね!!
Posted by なかむ at 2010年12月15日 23:47
>なかむ
いやいやいや、こんな大人になっちゃイケナイよと思うわ(笑)
とりあえず流れ流れて生きてます。
早くまた一緒に旅したいねー。
いやいやいや、こんな大人になっちゃイケナイよと思うわ(笑)
とりあえず流れ流れて生きてます。
早くまた一緒に旅したいねー。
Posted by マホチン at 2010年12月18日 16:43