じいちゃんの訃報により、予定変更で京都から実家に戻ることになったアタシ。
11時からの葬儀に間に合わせるべく、新大阪から始発新幹線(AM6:00!)に乗車。
早朝5時から自転車で送ってくれたかっしー、ありがとー!!
今更だけどさ・・・、
新幹線て速いね 。
何といっても往路は18切符で6時間以上だったし、
普段飛行機か夜行バス利用が多いから、ホントに久々の新幹線。
新大阪→広島が1時間半て、
昨日行った京都のチベットより近いじゃない!
いったん黒服を取りに自宅に戻り、ふたたび電車で実家へ。
今日使う予定だった18切符を何とかここで使ってやったぜ。全然モト取れないけど・・・。
乗車前に駅の到着時間を伝えて迎えを頼んでいたのにも関わらず、
うっかり電車を降り忘れるという大ボケをかましたり(寝過ごしたワケではない)、
葬式会場に着いたら着いたで、東京から帰省した弟がまさかの
甚平姿!!
いやいやいやいやいや!!
さすがにそれはないじゃろー!!
・・・と思ったら、良かったちゃんと喪服持って来てた。
それにしても甚平で東京から移動してきたって・・・。
かくして大切なおじいちゃんのお葬式が始まったワケなのですが、
すべてが終わった後、じいちゃんの娘にあたる母を含めた家族一同、
「
いや~。つっこみドコロ満載じゃったね 」
と振返って大盛り上がり。
だってまず、
坊さんがアル中でお葬式開始時刻を20分もオーバーって!!
10分経過した辺りから場内ソワソワ・・・。
「どしたん?お坊さん来とらんのん?」
「や、来とるみたいじゃけど、なんか服が着れん言うとるみたいよ」
「今、会場の人が着さしてあげよるみたいじゃ」
で、どこの一族にもひとりはいそうなKYな親戚のオジサンが、
「はぁ坊さん、死んどるんじゃなぁか?」
と、本人的にはヒソヒソなんだろうけど、
みんなのお耳に聞こえるくらいの声量で思ったことそのまま言っちゃうもんだから、
場内が”あぁ、オッサンついに言うてしもうた~”な空気に。
ようやっと現れた坊さんを会場の誰しもが、
”この人最後までお経あげられるんじゃろうか”とヒヤヒヤ見守る中、
周りの親戚いわく「昨日の通夜よりはマシ」という顔色で、
じいちゃんの享年87歳を78歳と読み間違えたりしつつもどうにか終了。
後から聞いた話では、
着替えを手伝ってもらいながら坊さん本人も、
「わしゃ最後まで読めるかのう・・・」
と呟いていたらしい。
ってか、他に坊さんおらんのかーい!
坊さんとKYの親戚のおじさんに加え、本日のネタは自治会長さん。
いやあもう、彼のハリキリぶりがすごかった。
もともと家族葬にしようとしていたのを押しきってしゃしゃり出てきたらしいのだけど、
なんかもうイキイキ!!
喪主が挨拶した後、もっぺん同じこと喋ったりとかね。
最終的には「もう本人の好きにさせてあげようや・・・」モードで、
葬式後は坊さんとKYの親戚のおじさん、自治会長さん話で盛上がり。
じいちゃんの娘である母も、
「もうネタだね~」と笑っていて、
お葬式でもしんみりで終わらないところが、やっぱうちの家族だなぁと思ったり。
ちゃんと挨拶できるんかいな、
と心配したおじさん(母の弟)の喪主挨拶は、
「振返ると、なんとも平凡な87年の人生でした」
という文章にはじまり、
幼児期を過ごした韓国のジュンテン時代、
20歳で徴兵されシベリアで捕虜になり、
日本の高度成長期を生き、
高齢者になっても働き続けたおじいちゃんの人生を振返り、
ちょっとホロリとしてたら、
母とおばさんが考えた文章だったらしい。
じいちゃんに最期のお別れをして、見ると火葬場の桜もちょうど満開。
最期におじいちゃんがくれた最高のプレゼント。
せっかくなので火葬場の中ではなく、お花見気分でお外で仕出し弁当をイタダキマス。
イトコが「ここのは美味しいんよ~!!」と言ってた通り、何を食べても美味しーい!!
一同、ほんの数分前までは涙、涙のお別れだったというのに、
数分経てば「美味しーい!」「これも美味しーい!」と笑顔になれるんだから、人間は強い。
お腹イッパイになるとイトコたちが階段で、
「じゃんけんぽーん。チ・ヨ・コ・レ・イ・ト」を始めたりして、
ああ昔やったなぁと懐かしく思ったり。
↑ イトコの子、ではなく20歳以上歳の離れたイトコたち。恐ろしい・・・。
満開の桜に見送られ旅立ったおじいちゃん、
ごくろうさま。ありがとう。