AUSワーホリを振りかえる3*世界一美しい街*

マホチン

2010年11月20日 00:00

※ この記事はAUS出国前に書きためたものです

 

パース空港で1時間ほど時間を潰し、ようやくバッパーから迎えの車が到着。

オイラの他にも同乗者あり。
車の中で軽く会話(久々の英語!)

彼は香港から来たサミュエル。

同じ日、同じ時間、同じ飛行機でAUS入りした彼は、オーストラリアの友だち第1号。
あとでFacebookで知ったけど、どうやら歳も一緒だったみたい。

彼とはその後、グレープファームで2週間一緒に働くことになるのだけど、
その後オイラはトマトファームへ、彼はバンバリーへ。

AUS入りした日からバッパー、ファーム生活で計3週間共に過ごした彼。
出国前にまた再会できると思っていたのに、今はカナダだって。
AUS出国前に再会したかったなー。

ちなみにこのバッパー、

1週間で100ドル(約8,000円)で朝食付き、しかも空港送迎あり。
パース駅からは遠いけど、バスの無料ゾーン内だし、静かだし、
自分が泊まった部屋は8人部屋だけど、2部屋繋げたような造りで広くて、
自分が想像してたバッパーよりはるかに快適だった(狭い部屋もあったけど)

着いて受付してたら早速日本語が聞こえてきて、
”あー、やっぱり日本人はどこでもいるんだな”と実感。

パースで出会った日本人第1号のワタルくん、
途中虫歯が抜かなきゃならんくらい酷いことになってたけど、タスマニアに行くとか行ってたなー。
元気してるかなー。

初日は早速電話の契約に行ったり、銀行口座を開設したり、タックスファイルの申請をしたり、
そうこうしてる間にまたスコールみたいな雨にたびたびあたり、初日の街でビショビショになってた。

世界一住みやすい街、と言われてるパース。

でも先のことがまったく見えなかったから、そんなステキな街にいる実感などなく。
気持ちがせっかちなので、一刻も早く仕事を決めたく、エージェントの掲示板で募集をチェック。

とにかくAUSに来たばかりでなーんにも分からなかったから、
同室のヨシミちゃんやサヤカちゃんにはいろいろ教えてもらった。
やはり日本語で聞けるのは助かる。

新鮮な気分でいられたのも3日目までだった。

手続き的なことが終わり、この街のことがある程度分かってくるようになると、
次第にヒマを持て余すように。

無職だし、物価が高いし(日本と変わらないけど、当時は高いしか目に入らなかった)、
いつここを出て行くか分からない生活だったから、食料や調味料の買出しは極力控え、
節約を兼ねてリンゴばっかかじってた(このときの写真見ると、痩せてる~!)

街中でリンゴ、は最初ヨシミちゃんがやってるのを見てビックリしたけど、
すぐにオーストラリアではフツーになった(笑)

無職で街をブラつき、ジャパレス(ジャパニーズ・レストラン)で働く若い子を見ながら、
”自分もああいう仕事をすることになるのかなー。接客経験、ほぼゼロなのになぁ”・・・と考えていた。

それでもバッパー生活は楽しかった。
アジア人が多かったけど、ゴハンをシェアしたり、ダラダラ喋ったり、ゲームしたり、BBQしたり、
ひとり寂しさを抱える時間はなかった。

 

仕事が決まらないまま1週間。

そういえば日系エージェントの登録にも行ったんだった。
やったことない接客よりも、オフィスワークができれば・・・と、もちろん撃沈。
英語ができないとやはりアカンみたい。

そんである日、

場所を変えようかな。

・・・という衝動にふと駆られ、

どうせなら海のある街に行こう!そうしよう!

・・・と思い立ち、
イルカの訪れる海沿いの街バンバリーがいいんじゃないかとあれこれ調べ、
ここを離れてまた一人になるのは寂しかったけれど、海が見える街に行くと思うとワクワクした。

バッパーの予約、電車の時間を調べ行く気マンマンになっていたら、
アメリカ人ジョー&台湾人フィンのカップルから、

『ファームの仕事を見つけたけど、一緒に働かない?』

・・・というお誘いが。

待望の仕事、でもイルカの街に行く気マンマンになっていたオイラ。

『誘ってくれてありがと。でも、バンバリーに行こうと思ってたんだ。ゴメンね』・・・とお断り。

しかし後々グルグル考えはじめる。

海の見える街に行ったところで、まったくアテはない。
とりあえずアテのあるところで働いてみた方がいいんじゃないか。

普段はカンで動くこのオイラが珍しく熟考し翌日、

オイラ 『あのう、やっぱり一緒に連れて行ってもらっていい?』

フィン 『オフコース!!』

とりあえずすることが決まった。

オーストラリアで初めてのお仕事ゲット!! (←結局、他人力)




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